「人本主義」と「人を生かす経営」~世界の中の日本、そして地域社会経済の主役としての中小企業 明治大学ビジネススクール教授・チュラロンコン大学サシン経営大学院日本センター長 藤岡 資正氏
適切な問題意識を持つために
資本主義、グローバル化は私たちにさまざまな恩恵をもたらしましたが、一方で行き過ぎた社会の経済化によって、貧富の差が拡大し、国際的な情勢不安の中で人権問題も生じており、こうした側面にも光を当てることが大切です。加えて、少子高齢化社会における介護・医療の問題や地球環境問題などは、必ずしも経済合理性という観点のみでは解決できない課題群です。このように、経済性と社会性のトレードオフを克服するための仕組みや経営のあり方をめぐる議論が経営学においても盛んに行われるようになっています。
さて、企業経営には環境の認識が大切になります。グローバル化や地政学リスク、デジタル化の進展といった単独ではすぐに変えられないものを環境要因といい、そうした環境の中で企業経営としての意思決定をしていくための変数を戦略変数と呼びます。
捉え方で見え方が変わる
今は見通しがつきづらい不確実性の時代などと言われます。1929年の世界大恐慌の時にアメリカの著名なコメディアンは「大変な時代が始まったのではなく、楽な時代が終わっただけなのだ」と述べたというエピソードがありますが、これは今の状況と通じるのではないでしょうか。
一方で、見方を変えれば、将来が不確実で厳しい時代である反面、さまざまな分野に新たな生存領域としてのニッチが生じて戦略変数の選択の幅が広がっていると捉えることもできるでしょう。つまり、不確実性の時代とは、企業家精神を発揮する絶好のチャンスともいえます。発見の旅は新しい土地を探すことではなく、新しい目で見ることであるといわれるように、適切な問題意識を持つことで現状は危機にも機会にもなるのです。
アジアの中の日本
現在の日本の立ち位置を理解するには、新興国アジアの台頭と「アジアと日本」から「アジアの中の日本」に移っていることを理解する必要があります。
1970年の世界全体のGDPを1とすると2016年には約22倍に成長しました。その間、日本を含めたG7のGDPのシェアは、1970年時は58%を占め、1991年に66%まで上昇しましたが、2016年には47%に低下、G7と中国のGDPの比率は70年の1:22から2016年には1:3まで縮まっています。(図1)
世界経済の重心推移
アジアの主要国のGDPは2000年以降急速に増加し、2010年には中国が日本を抜き、今では世界経済に占める中国と日本の立場は完全に逆転しました。どの時代のアジアを頭の中で思い描くのかによって捉え方が大きく変わってきます。低廉で豊富な労働力を提供するアジアのみではなく、世界の成長エンジンで巨大な消費市場としてのアジアへと移行しているという認識を持つことが大切です。
日本の中小企業の海外進出先の約8割がアジアですし、利益の源泉も多くがアジアからであることを鑑みると、多くの日本の中小企業にとってはグローバル化というよりアジア化への対応が重要であるともいえます。
日本の現状は
ASEAN諸国はこの30年で経済発展を遂げ、低所得層が減り中間層が急増し、高所得層が増えている一方、日本は上位中間層が減少し、下位中間層、低所得層が増加傾向にある状況です。給与の面でも、役員クラスは言うまでもなく、一般的な課長・部長職で比較した場合においても、シンガポールだけでなくタイや中国そしてマレーシアの上場企業の給与も日本の上場企業の平均を超えています。世界競争力ランキングでもアジア14カ国地域中日本は10位、全体では34位でタイやマレーシアに抜かれました。残念なことに、日本は相対的に貧しくなっているのです。
経済的な豊かさが取り柄だった日本でしたが、実際のところは非経済的指標においても厳しい状況にあります。「より良い暮らし指数」ではOECD40カ国中29位、「世界の幸福度」は146カ国中54位、これが日本の現状です。日本はもはや先進国ではなく、潜在的衰退国だという危機意識を持たないといけません。選ぶ立場から選ばれる立場へ変わったことを受け止め、「アジアと日本」ではなく「アジアの中の日本」という視点に切り替えていかないといけません。これは決して現状を悲観せよといっているのではなく、適切な現状認識に基づいて将来を構想していかなくては手遅れになってしまうという適度な危機意識、問題意識、当事者意識を持つことが大切だということです。
実体経済の3倍速で急拡大するデジタル経済
世界人口の半数以上、マーケットの4割を占めるアジアは、世界平均の倍のスピードでデジタル化、IoT(Internet of Things)化が進んでいます。実体経済は2015年から2020年の間に年平均7%で成長しました。このままのペースで成長を続けると10年で倍になります。さらにデジタル経済は年平均21%の成長率で、実体経済の3倍という想像を超えるスピードで成長しています。
19世紀のはじめに移動手段は10年で馬車から自動車に置き換わりました。さらに、ラジオが人口5000万人のユーザーに普及するまでにかかった時間は38年、テレビは13年、Facebookは3~5年、Instagramになると6カ月というように、変化のスピード感は増しています。
変化スピードの加速とともに、予期せぬ競合先が出現するだけでなくビジネスのルールも変化しています。例えば、アメリカの民泊仲介業のAirbnbは客室を1室も持たずに、世界的なホテル運営企業のマリオットグループを4年で抜き、世界一の客室を提供する企業になりました。配車サービスのUberもタクシーを1台も持たず世界一の配車サービス企業になりました。世界最大のスーパーマーケットのウォルマートはベネズエラのGDPに匹敵する巨大な売上高を誇る企業ですが、ECプラットフォームで有名なアマゾンはその売上を一気に抜きました。デジタル化は従来とはまったく異なるスピードで既存産業のルールやあり方を根本から覆してしまう力があるのです。
コア・バリューと哲学
環境や技術は大きく変化していきます。小型オーディオを例にとると、以前はカセットで音楽を聴いていましたが、CD、MDに替わって音楽のデジタル化が進み、データ圧縮技術や半導体メモリの進化によって、携帯音楽プレイヤーも小型化・軽量化がいっそう進みました。こうした変化の時代に、将来を正確に予言することは不可能です。そうであるならば、将来を予測することではなく、社会や顧客に対するコアとなる提供価値を中心に事業を捉えることも大切です。たとえば、「音楽を持ち歩いて楽しむライフスタイル」を軸に捉えると技術が向上して媒体が変わっても「音楽」そのものはブレません。方法や技術にこだわり過ぎずに変化の波を乗りこなす必要があります。(図2)
その際、大切な基点となるのが哲学(基軸)で、恒久的に変化しない考え方やあり方、顧客や社会が求めている普遍的な価値のことです。商品やサービスの核となるのがコア・バリュー(提供価値)、その魅力を伝える打ち手が戦略変数です。そして戦略変数を規定する環境要因はグローバル化や情報技術の対応など時代に応じて変化するもので、時間をかけて分析していけば多くの共通点が浮かび上がってきますが、優先順位の付け方で経営の差が出てきます。
変化の時代に求められるイノベーション
製品ライフサイクルを示す「シャークフィンモデル」というものがあります。導入期→成長期→成熟期→衰退期と推移し、ある一定の周期で起こると言われていました。それが、今は変化のサイクルが縮み、変化の頻度が増え、スピードが加速していると指摘されています。競争優位の確立に注力しても、競争優位が次々に移り変わる非常に厳しい時代だといえます。
どう変化に対応していくのか。サイクルの終わりに対してしっかり向き合いリセットする必要があります。現実から逃げずに向き合い、常態から新常態(ニューノーマル)に移行していくなかで、変態する。変態する際のポイントは、商品やサービスの魅力を相手に伝える努力をして相手と共感しながら変わっていくことにあります。
イノベーションは、今あるものを組み合わせて新しい価値を生み出していくことであり、人間組織によるイノベーションは自然界と異なり、自らの意思で変化を起こせます。新しい技術だけでなく「社会的に認められる価値」をつくること。社会的な価値は顧客(社会)が主観的に判断する性質があるので、企業家は社会的存在として、社会との関係の中で価値を見いだし、独りよがりでなく社会や仲間のためにどういう役割を果たし価値を生み出していくかという視点が大切です。
日本はアジアの課題先進国
急速な変化の中にあって、すでに日本はかつてのような意味合いでの先進国ではありませんが、見方を変えると、アジアの中でいち早く起こる問題、課題を先に経験できる課題の先進国と捉えることができます。日本の技術、サービス、制度を現地の文脈と融合していくことで、イノベーションを促進していく。そこで得た知見をアジアに展開して社会問題解決を産業に結びつけて、課題先進国として発展していく道筋が見えると考えます。
「失われた30年」ではなく、経営者としての責任を果たせずに「失った30年」であると自覚すること。そしてモノを売るのではなく、課題を解決するソリューションを相手と一緒に共創し、共に育つという意識。現状の中で何をしていくのか、課題をしっかりと考えていくことで新たな可能性を伸ばしていけるのだと思います。
この起点になるのが「人を生かす経営」です。私自身も企業家の1人として、都市や街のモビリティ、農業・食品、少子高齢化の問題といったさまざまな課題解決の取り組みや考え方を日本のみならず、アジアに移転して展開していけるよう、企業や関係機関と連携して取り組んでいます。
また、企業の生産性を高めるために政府からさまざまな施策が出されていますが、個別の企業経営に落としていく段階ではミスマッチが起きてしまうものです。個別企業に合わせることが日本やアジアの社会全体にとってよいとは言い難い側面もありますから、産官学金、または国を越えたネットワークがプロデューサーの役割を担い、相互の関わり合いで、これらのギャップを埋めていくことも今後の可能性の1つだと考えています。(図3)
キーアクターを結びつけるプロデューサーの役割が増大
経済システムに組み込まれた「人」の人間性を取り戻す
人や家族が生活の基点であることに異論はないと思いますが、そこから組織が形成され、社会が構築されてきました。このように本来は、人の生活のために組織を編成し、社会のシステムを構築するという順序であったはずが、いつの間にか人が経済システムに合わせる社会にすり替わってしまいました。社会の主役であったはずの人間や生活そのものが、経済システムに埋め込まれてしまっているという状態をどのように考えるべきでしょうか。
成熟社会において求められるのは、多様性を包摂してさまざまな価値を認めること。それは、経済価値以外の測ることができない価値をいかに見出すのかということでもあります。測るだけならAIやコンピューターに任せればいいわけで、それでは判断できないようなコトやモノ、心の動きを理解できるのが、人間が人間である所以(ゆえん)だと思います。
人間は心を持っていますので、計画通りにいきません。相互作用が重要になってきます。これからの時代は人間性、複雑性、関係性などがキーワードになってくるのではないかと思っています。
価値共創とコミュニケーション
組織を通じて価値を共創していくには、チームワークを強めて共感できる相手の存在が必要です。一緒に食べたり笑ったり、学びや気づきの場を共有することで信頼関係を築いていく。そういった意味でもリアルの活動、言葉や文字ではなく場を共有することが大切です。
数値化できない価値の評価や、そもそも価値とは何なのかに向き合うために、本質的に数量的な扱いに抵抗するような質や意味に関わる、対象と主体の分離ではなく、対話を通じて真理を認識し表現するための知の作法が重要となってきます。
言い換えると、コミュニケーションにあたって、正しい・正しくないという二極で捉えるのではなく、「どの視点から何を捉えようとしているのか。どこから見た場合に何が見えるのか」というように、同じ事実を異なった視点で見ている人がいることを知り、異なった見方を理解する姿勢を身に付けることが極めて重要だということです。
価値共創は相手があることなので、やりがいがあります。
企業家の役割
企業家の役割の1つに、利己的な経済価値の追求ではなく、創業の精神や覚悟を継承し社会とのかかわりを意識した、短期的には一見合理的ではないような活動をすることがあると考えています。価値といえば経済価値に結びつけがちですが、すべてを結びつける必要はなく取捨選別すること。そこに個人差や地域差があっていい。その差が魅力につながります。
企業家としての可能性を追求するポイントは、可能性を使い切る意識を持つことです。道徳性の発揮も可能性の1つ。道徳性には「人に迷惑をかけない」、「人のためになる」という2段階があり、前者は多くの日本人ができていることかと思いますが、後者の「人のためになる」は、意識的に過ごさないとつい自己中心的な発想になってしまいます。人は意識して、関心を向けることによって現実を認識し、違いが分かるようになります。
「人を生かす経営」の可能性
これまで、アジアは安い労働力を提供する「生産拠点」という側面もありましたが、市場が大きくなり所得が増え、世界的な位置づけも変化してきました。今後は「心」のある価値共創のパートナーとして、相互作用の中でお互い変化していく存在として大きくなっていくかと思います。アジアを中小企業に置き換えても同様です。
地域をよくしていくために、人を重視した「人間尊重の経営」、「労使見解」、「共に育つ」という同友会が大切にしてきた理念が今こそ重要です。地域貢献を日頃から意識してつながり、個々の企業でも人を育て、人が育つ会社をめざす、そんな価値観にもとづいた行動を可能にする仕組みや知恵が埋め込まれているのが長い歴史を有する同友会の活動です。このポテンシャルを最大限発揮することによって、社会との価値を共創することが可能になると思います。他者と関わり合い、自分自身が変わっていくことが大切です。企業家にとって、さらには人として、このような関わりが今後ますます重要になってくると思います。
出所:「中小企業家しんぶん」 2023年 4月 5日号より
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