4/11「経営学と平和」『ArayZ』2022年4月号

 昨今の世界情勢を鑑みますと、まずは「平和と戦争」について取り上げざるを得ないでしょう。

 様々なご意見があると思いますが、私は、あらゆる学問というものは、社会経済やその先にある人々の幸福に資するべきであると思っています。

 幸福という言葉を前面に出すと何だか恥ずかしい気分になりますが、幸福について語ることが憚られ、幸福という概念が軽視されてしまう傾向にこそ、現代社会の問題が隠されている気がします。そして、当たり前のことですが、平和な世の中でなくては、誰も安心して学ぶこともできません。

 戦争は不条理であり、殺戮であり、悲劇です。そのため戦争は狂気と非合理の所産であると言うことができます。しかし、「狂気の沙汰」という言葉のみで簡単に片付けてよいのでしょうか。

 戦争は天災のようなものでも、独裁者によってのみ引き起こされる狂気でもなく、様々な要因が複雑に絡み合った私たち社会全体としての問題です。つまり、政治家や軍事専門家のみの領域ではなく、人間であるならば誰もが真剣に向き合いながらその原因を体系的に解き明かさなくてはならない共通の問題であると言えるのです。

 もちろん、そうした大仰なものではなくても、現実に苦しんでいる人々の震えや悲しみを感じ、戦争という現実の物語を一人の人間の大きさで考え、「他人事」ではなく「自分事」とする人間力が今求められているのです。

 100ドル紙幣に描かれていることで有名な政治家であり学者でもあったベンジャミン・フランクリンは、アメリカ合衆国建国の父の一人として知られています。実は、彼はチュラロンコン大学サシン経営大学院の創設パートナーであるペンシルベニア大学の創設者でもあります。

 多くの壮絶な戦争体験をしてきたフランクリンは、次のように述べています。

「良い戦争、悪い平和、というものは、いまだかつて、いやこれからも、存在することはない」 と。

 そして、一般相対性理論などを発表したアルベルト・アインシュタインは次のように述べています。

 経営学や商学の役割の一つは、社会が抱える課題を体系的に捉えることです。人間社会が求めていることが「平和」や「幸福」であるとするならば、経営学や商学がどのように人類共通の目的に資することができるのかを考えることも大切です。経済学では、既に「幸福の経済学」という研究領域が確立しており、『Journal of Happiness Studies』が2000年に創刊されています。

 私の専門分野である経営学や会計学においても、「幸福」と会計(学)について少しずつ議論がなされるようになってきました。学問は真理の追求のためであり、その先に社会の幸福があるはずです。

 平和な世の中は人々の幸福の前提であり、幸福を追求することは容易なことではありません。だからと言って幸福とは何かについて思考することを諦めてしまってはなりません。人間に本来備わっている可能性を追求する、つまり、人間が本分を尽くすということが大切なのではないでしょうか。


【原文は以下リンクからダウンロードできます】

紫藤会

学問は人の幸福に資するものではなくてはならない。 幸福とは何か?美しさとは何か? 経営学の可能性を信じて御茶ノ水から世界へ。

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